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雑記|無理をしないってどういうことなんだろう

こんにちは。
今日は朝から気持ちのよい晴れ。
ですが、昨夜から喘息の調子が悪く、今日の予定はキャンセルして家で仕事や家事を少しずつして過ごしてます。

今回は最近の出来事や読んだ記事などから感じたことをなんとなく書いてみたいと思います。

石川直宏選手のこと

12月3日、わたしの尊敬するサッカー選手が引退しました。
JリーグFC東京のMF、石川直宏選手。
2005年シーズンからJリーグFC東京の試合をスタジアムで観戦するようになって、途中から行けなくなってしまったけれど、10年ぐらいほぼ毎試合、テレビなどでも見ていました。

石川選手(ナオ)は右サイドハーフでプレイすることが多く、FC東京のサポーターの間では「スピードスター」と言われていて、カモシカのように軽やかでスピーディーにピッチを駆け抜ける姿と、美しいゴールが印象的な、華のあるアタッカーでした。

もともとは神奈川出身で、マリノスから来たナオ。サーフィンや音楽好きで、ライフスタイルもスタイリッシュ。絵に描いたような爽やかなキャラ。
人柄も素敵な選手で、チームメイトや外国人選手ともコミュニケーションが上手で、特にベテランになってからはチーム全体のことを考えたしっかりした信念のある発言も多く、チームの中で一目置かれる特別な選手になっていました。サポーターも彼のことはレジェンド的な特別な選手だと思っている人が多いです。

12/2に味スタのJ1リーグの最終戦に出場、12/3に駒沢で行われたJ3リーグU-23の試合にも出場し、アシストを決めて引退。
12/3の試合には、現チームメイトだけでなく、今は他のチームにいる元チームメイトもたくさん駆けつけたそうです。

わたしは石川選手と同い年で同時期にFC東京でプレーしていた塩田仁史選手(シオ、GK、現大宮アルディージャ)と、茂庭照幸選手(モニ、DF、現セレッソ大阪)のトリオが特に好きで、もちろんその2人も12/3の試合に来ていたそうです(茂庭選手は出場していた)。

華のあるキラキラしたイメージが強いのですが、膝の靭帯損傷など大きな怪我を何度もして、長期離脱&リハビリでピッチに立てなかった時期も長い選手です。

ナオが出るとスタジアムが盛り上がり、何かやってくれる、というサポーターの期待値が高い一方で、これからという時期に大怪我をしてまたリハビリ…という辛い経験を何度も乗り越え、怪我と共存しながら最後までプレーをやりきりました。

治療に長くかかる怪我を何度も経験した選手の気持ちは、その人にならないとわからないけど、ナオの人柄に感激し、勇気づけられる出来事がわたしにもありました。

わたしが病気で長く療養していたとき、ダンナがもらってきてくれた、ナオのサイン。

入院していたときも病室に飾っていたし、これを見るたびに、いつか元気になって、また味スタにサッカーを見に行こう、と勇気づけられながら自分も10年近く、療養生活を送ってきました。

たった一言だけど、「マイペースに治して」というところにナオ(石川選手)の人柄がにじみ出ていて、彼だから書ける、「早く治したい」「早く元に戻らなきゃ」という焦りや不安の気持ちを受け止めて、落ちつかせてくれる言葉。こういうことをサラっとその場で書ける人ってすごいなと思います。

いまの自分の生活のこと

わたしはこのサインをもらったときよりもずいぶん元気になり、日常生活を支障なく送れるまで回復しました。
物事を前向きに考えられるようになったし、好きなことを楽しみながら家事をやり、以前はサポートされなければ生活できなかった自分が、いろんなことができるようになり、今は必要に応じて家族のヘルプに駆けつけることも可能です。

だけど、まだ人混みの中にいると具合が悪くなってしまったり、ちょっとした音にやられてしまったりすることもあり、混雑している場所や賑やかな場所はなるべく避けて生活しています。

ナオの最後の試合も、他の事情もあり残念ながら観戦は叶いませんでした。

時々自分の病気のことを忘れているくらい調子がいいときも増えてきたけれど、最近はできることが増えてくるとともに、乗り越えなくてはいけないハードルも多くなってきて、毎日挑戦しているような感じもする日々です。

体力的にも精神的にもキャパシティオーバーにならないように、良い意味で「マイペースに」コントロールすることが大切で、リハビリはまだまだ続いてるなーと感じています。

どんどん前に進んで、速く進んで、新しく進化して…ということが、テレビやネットなどのメディアを見ているとメインストリームのように見える世の中。

そのスピード感に必ずついていかないと取り残される不安感が、若い頃の負けず嫌いな自分にはあったけれど、

今の自分にとっては、無理に合わせずに適度に距離を置くことも大切で、自分を壊さないで安定していられるためには必要なことなんだろうな、となんとなく確信めいた感覚が湧いてきてます。

自分の中の価値観とか優先順位が、かなり変わってしまったんだと思います。

テレビやインターネットを見てると、処理できないほどの量の情報が一気に目に入ってきて、その中にはちっとも共感できなかったり頭が痛くなるような情報もたくさんあって、自分に合ったもの、必要なものを選ぶのに疲れることも多いです。

っていうことをインターネット上に書いているのも矛盾してるし笑、かつてインターネット関連の仕事をしていた自分が言うのもいかがなものかとも思うのですが…苦笑。


前にも書いたかもですが、わたしの持病は再発する可能性もわりと高く、根本的には治らないらしい…だから、元気で暮らしていくためには、いまのまずまず安定した状態を維持するための工夫が必要。。

いまの時点では、

  • 自分が精神的な辛さとかキツさを感じることからは少し距離感を取って、冷静に現在とちょっと先だけを見る とか、
  • 自分にとっての優先順位をはっきりさせて、やるべきことをやれる範囲でやる
  • 何かするときには時間を決めて、長時間ひとつのことに集中しすぎない
  • 疲れや体調不良を感じたらペースを落としてなるべく集中して休む

など、リスクを避けるために自分なりの対処法が必要だなー、と日々思います。

ニュースや本やネットの情報も、今すぐ読みたいものは読むけれど、自分が見たり聞いたりしててなんだかキツイな、苦しいなと感じるものは無理に見ないように、最近はしてます。

本当に今の時点の自分に必要な情報ってそこまで多くはないし、絶対必要な情報は放っておいてもそのうち耳に入る気がします。

知らないほうがラクでいられることだってたくさんあるような気もするし、わからなきゃ人に聞けばいいし。。

なんとなく惰性で情報を流し見する時間を、本当に自分が興味のあることや、自分の気持ちを落ち着かせたり、楽しくいられたり、自分を高めてくれるようなことのために使うほうが、疲れないでいられる気がします。

頑張って世の中に合わせるより、自分自身が元気で落ち着いて暮らすことのほうが大事かも…。

そのためには、家族とか友人とか、周りの人にも元気でいてほしいから、助けが必要なときはできることをやるし、楽しく過ごせる時間は限られてるわけだから、大切にしたいな、と思います。

自分に無理をしてでも生活のために頑張らないといけない人の方が多い世の中で、家族の稼いだお金や国からもらう年金でご飯を食べて暮らしているわたしの、甘ちゃんすぎる考えに腹立たしく感じられる方もおられると思いますが、、、すいません。。

人は人、自分は自分で良くて、
人と自分の頑張りを比べることが、いまの自分には疲れてしまうんです。

なんか何を書いてんのかわからなくなってきた、いつものパターンですが…笑。

今の自分にとって無理をしないっつーのはそういうことかな、と、、、いちおう今回のタイトルへの今の時点の自分なりの答えを書いたところで、今回の雑記的記事はシメたいと思います。

おわり。

追記:野宮真貴さんのインタビュー記事

無理をしない、つながりで無理やりですが⁇、いいなと思った記事のリンクも載せておきます。
おしゃれ番長、ピチカートファイヴ野宮真貴さんのインタビュー。

年を取ったからこそ身につけられるモノってあるんですよ。そうすると、年齢を重ねるのも悪くないかなって思えますよね。 
歳をとって失うものは「肉体的」なこと。逆に「精神面」がすごく楽になる。折り合いの付け方を、50代で学んだのかもしれません。若い時は未来を夢見て、多少無理をしたりするわけですが、年をとると未来のために今を犠牲にしない。「今」を純粋に楽しめるようになりました。

この言葉が印象に残りました。年上の女性がこう語っていると、なんか元気でます!